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私と喫茶店

 投稿者:shibuya  投稿日:2011年 3月 7日(月)01時44分12秒
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  中学に上がると地元の新聞屋さんのバイトで新聞配達をして、もらったわずかなお金を持ってバス・地下鉄を乗り継いで1時間半ぐらいかけて札幌まで行き、UKエジソン、disk-up、玉光堂ススキノ店、Records Recordsといった中古/輸入レコード屋さんを回ったり、旭屋書店とかPARCOの富貴堂などの書店で「ガロ」とか「夜想」を買ったり、「イメージガレリオ」というミニシアターに足繁く通ったり、という青春を過ごしましたが、そうやってしょっちゅう札幌に出かけていたにも関わらず、喫茶店という場所にはなかなか足を踏み込めませんでした。子どもだったので、コーヒーを飲むのに何百円もお金を払う感覚が理解できなかったし(よく缶コーヒーを買って晴れ晴れビルの階段で飲んだりしていました)、そんな所でゆったりした時間を過ごす暇があったら、4丁目プラザでやっている中古レコード市に行くほうがずっと有意義だ、と思っていました。というのはポーズで、実際のところは喫茶店に一人で入るのが怖かったのだと思います。何をどうやって注文したら飲みたいものが出てくるのか。値段はいくらぐらいなのか。自分以外は大人ばかりで、自分のような子どもが入店したら怒られるんじゃないか。そんな風に思って、店内がよく見えない茶色いガラスのドアの前などを通り過ぎていたものです。10代後半になって、付き合っていた女の子と映画を観に行った帰りに「喫茶店にでも寄る?」と言われたけど、未だ一人で喫茶店に入った経験のなかった僕は、「喫茶店ねえ...」と何気ない風を装いつつも内心オドオドしながらズンズン歩いていって、最終的に大通り公園のベンチで彼女と缶コーヒーを飲んだりしました。彼女はとても優しい人だったので、「喫茶店に行くよりいいね」と言ってくれてホッとしました。彼女は、目の前に見える「北海道新聞」のビルの大きなネオンの「道」の字の「しんにゅう」部分の電気が切れていて、「ほらほら、『北海道首新聞』だって」などと言って笑わせてくれさえしました。

その後、引きこもっていた実家を出て一人暮らしをするようになりましたが、最初に就いた仕事はコーヒー豆を焙煎して喫茶店をはじめとする飲食店に卸すルート販売の会社でした。毎週会社に届く生豆がギッシリ詰まったバカみたいに重い麻袋をよろけながら担いだのは忘れられません。その頃は千歳という街に住んでいて、会社と取引のある何軒もの喫茶店に豆を配達するために毎日赴いたので、喫茶店というのがどういう場所なのかを知ることができました。

喫茶店が怖くなくなり、むしろ愛するようになったのはいつからだろう。仙台に出て来てからかもしれません。駅前の細い路地にあったジャズ喫茶「AVANT」は、yumboのオリジナルメンバーである稲毛さん、大月さんとの出会いの場所だったし、そのすぐ近くにあった「Goodman」はいつ行っても空いていて、雑誌は「キネマ旬報」しか置いていませんでした。お気に入りの店でしたが2004年かな?惜しくも閉店しまして、「グッドマンが閉店した」という曲を書きました。現在の自宅の近所にあった「茶茶」や、マーブルロードにDISK NOTEと一緒のビルに入っていた「モダン・タイムス」なども思い出深い喫茶店ですが、どれも無くなってしまいました。今でも行くとしたら本町の「さふらん」、マーブルロードの「AS TIME」、定禅寺通りの「ギャルソン」、一番町フォーラス横の「カフェモーツァルト」、そしてもちろん「火星の庭」など、好きな喫茶店はたくさんあります。死ぬ時は喫茶店でコーヒーと煙草を味わいながら、心臓発作か何かで死にたいと思っていますが、そんな客は迷惑ですね。

去年の10月ぐらいにナツから「いい物件を見つけたから喫茶店をやらないか」と持ちかけられた時は、「これで死に場所が見つかった」と思いました。まだ40歳のくせにこんな風に書くのは大袈裟ですが、半分本気でそう思いました。
 
 
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